KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

肩書きなんて名乗ったもの勝ちよ、なんてね♪


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 薬師丸ひろ子さんじゃあるまいし。(注:表題の『なんてね♪』ってとこ。by『紳士同盟』)

 

 今年からまた改めて更新するようになったこのブログ。いちおう哲学やテレビなどの映像を昭和48年生まれの視点をからめてエッセイに仕立てたものとしてお送りしているわけですが。

 

 《エッセイスト》と名乗るのが適当なのか判断に困るのですよ。もう職業名として固定されつつあり、《アマチュア》がそれを名乗ってしまうのは世間的に恥ずかしいのではないか疑惑。

 

 だから保険をかけてプロフィールに、《エッセイ書き》と掲載しているわけです。これはこれで恥ずかしい独白なのでありますが。

 

 そもそもエッセイって、何か事を成した人の《余技》として発表されてるって感じじゃないですか。エッセイスト単独で有名人ってあまり聞かない。

 

 なので《エッセイ書き》以外の肩書きを考えて、まだこういうの無いなというので《サインペン字作家》というのを編み出したのでした。この独白もまた恥ずかしい。いやもうこれを読んでいる人も道づれ。独白ではありません。

 

 恥ずかしついでにもう1つ。最初はサインペン字作家じゃなかったのです。《作家》っていうのも、これはこれで恥ずかしい表現ですもの。

 

 当初のアイデアは《サインペニスト》だったのですが、これでネット検索すると、男性器の記事が目白押しになってしまうのです。ああ何から何まで恥部じゃありませんか。

 

 ただこのブログにおけるサインペン字そのものはKOTOBAZMというブログ名に相応しいのではないかと思われます。

 

 《言葉とは?》というテーマは哲学の分野でもソシュールなどによって考えられてきました。今度ソシュールについてもう少し詳しく綴っていきますね。

 

 あくまでこのブログに表出されているものは《記号》に過ぎません。内に在る意味を記号にしたり、意図的に隠すのが、ブログを更新するという作業なのです。

 

今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り僕は君のそばにいる。