KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

桐島聡

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親族は遺体引き取りを拒否 桐島聡容疑者(70)とみられる男 | TBS NEWS DIG (1ページ)

 

この情報網が発達した現代社会にも、《逃げ場所》は存在した。身分証明書がなくても、住民票がなくても、そして犯罪者であってもー

 

仕事も住む場所も与えられ偽名で生きられるのですよ。この日本においても。正直、自分はこの人もうすでに死んでると思っていました。

 

交番に指名手配の貼り紙が、いや銭湯にも貼ってありました。とにかく色んなところに。何十年も。

 

それでも見つからないのだから、もうこの世にいないと思うじゃないですか。それが昨日まで生きていたのですよ。

 

しかも一時期、同じ市に住んでいたのです。もしかしたら、すれ違っていたかもしれません。

 

でも驚きはすれど、恐ろしさは感じません。最近の画像をみたら、どうみても人に危害を与える様にはみえませんから自分には。実際、気の良いおっちゃんだったみたいですし。

 

しかし保険証が作れないものだから、全部自費で医療費を払って、ガンを患ってさいごは行き倒れる。逃げた結果がこれです。

 

直接人に手をくだしたわけではないから、捕まってもいつかは出られる。あんな暮らしをしてあんな最期を迎えるぐらいなら、自首した方がよっぽど長生きできたでしょうに。

 

済む済まないは別にして、若気の至りでやったことですから、真人間として更生できただろうし、(今回遺体の引き渡しを拒んだとされる)兄弟に会って腹を割って話し謝罪できただろうにって思うのです。結果論ですが。

 

年月を経るにつれて《何を今さら》という感じになってしまったのかもしれません。結局最後の最後で後悔とともに、肩の荷を降ろして我に返った。

 

一部の人は逃げ勝ちと言いますけど、本人はそんなことこれっぽっちも考えていなかったと思われます。

 

今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君のそばにいる。