KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

旅サラダに復帰した神田正輝をみて余生について考えさせられる


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土曜日の勤務の日の朝、あるお年寄り(94歳)の部屋を検温と血圧測定のために訪れると、テレビを観ながらいつも必ず言うのです。

 

この番組はいいよー。

 

って。

自分も土日休みの仕事だったら観るな。ボーっと。

 

旅サラダ

 

本来は、さあ旅に出かけようよというポジティブ気分にさせる番組なのでしょうが、自分やお年寄りにとっては、別世界の恵まれし人たちのごちそうを食べる姿を遠くから眺める番組となっております。

 

でも最近は、神田正輝の安否確認をする番組にもなってます。お年寄りの様子を見るふりして、一緒になって観てます。

 

去年の末頃からお休みしてた神田さんですが、昨日復帰されてました。娘さんが亡くなってからというもの、みるみるうちに老け込んでいたのですが、さらに進んだみたいです。父が神田さんと同い年なんですが、父より老けてみえます。

 

もう俳優の仕事はリタイアしたのでしょうね。事務所にも所属していないそうですし。

 

神田さんって沙也加さん亡き後、身寄りが誰もいないんですよ。せめて誰か親身になって世話してくれる人がいればいいけどなと思うのですが。

 

残りの余生の支えが旅サラダなのかなっていうことで、とにかく座ってるだけでいいので、出続けてくれればいいなと願うばかりです。

 

自分はちょい見しかしてないけど、最後まで見届けるつもりです。

 

今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君のそばにいる。