KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

社会とは

 もう3月か。いろいろあって、あたふたしていたら、もう3月になってしまった。いろいろやりたいこともあったが、手つかずになってしまった。このブログだってそうなのですよ。

 

 頭の中で思いつくことはあれど、忙しかったり、なにかアクシデントがあると忘却の彼方へといってしまう。人の記憶などあてにはならぬ。けれどもなにかをきっかけにしてトラウマを思い出して苦しむこともしばしばで、人間の脳ってどうなってるんですかね。

 

 そんな中でもここのところいつも考えさせられるのは、《社会について》なのである。社会とは有り体に言うと《人の集まり》ということになる。たとえば家族も社会なのです。国家というのもです。大小さまざまな《社会》にわれわれは所属しているのです。

 

 そして僕もあなたも一個人ではあるけれど、社会の中の個人でもある。一個人だけがよければいいというわけではなく、社会における一個人の役割というのもそれぞれ存在するのです。これを無視すると、社会も個人も結局立ち回らなくなるのです。

 

 そこのところをもう少し掘り下げていこうかなと考えている。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君のそばにいる。