過去にブログで、子どものころデパートの「水木一郎ショー」に言った思い出を記したことがあった。今は亡き弟が、アニキに宇宙戦艦ヤマトをリクエストして困らせたという話だ。あのときのアニキのリアクションが忘れられず、45年ほど経ってしまった。
私が子どもの時分というのは、特撮やアニメなど、子ども向けの番組に出ていたりすると、テレビ業界で低くみられることがあったそうで、アニキも陰ではバカにされてたのかなと想像する。
やがて映画版「銀河鉄道999」でゴダイゴが主題歌を歌うようになり、アニメソングを歌うという立場が低くなくなってきた。そうなったらそうなったで、それまでアニメソングを多く歌ってきたアニキの出番が少なくなってしまった。
けれどもアニキはフェードアウトしなかった。それまで歌ってきたアニメソングを歌い続け、子どものころそれを聴いていた大人たちを少年のころに還させてくれる役割を担ったのだった。報道を観ていたらギリギリまでステージに立とうと頑張っていたそうだ。
アニキみたいな人がお亡くなりになると、自分も歳とったなと考えさせられる。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君のそばにいる。