KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

昭和の野球

本当の江夏を知らない

つまり昭和48年生まれの管理人は、江夏豊の全盛期を知らないのである。野球のルールを覚えてプロ野球中継を観るようになったのが小学校低学年。僕が目撃した江夏のユニフォームは阪神タイガースの縦じまではなかった。

嗚呼なつかしき高校野球中継

1980年ごろといえば、一般家庭においてもビデオデッキが普及しだした感があったが、いかんせんビデオテープは高かった。当時のチラシをみると、120分のテープ3巻で9800円である。1巻3000円以上するのである。

そんな定岡正二が受けた洗礼

定岡は鹿児島県の出身で、鹿児島実業高校からドラフト1位で読売巨人軍に指名され上京した。素質はあっても、そこは18歳の素朴な若者である。そんな彼が巨人に入団し出会ったのは・・・

定岡

僕より下の世代のヒトだと、このヒトは日本テレビでやっていた、とんねるずの生ダラの”負け犬サダ”のイメージかもしれない。現役のころは観たことないけど、プロ野球選手だったのは知っているみたいな。

コンバットマーチ

いつごろからだろう。高校野球の応援でコンバットマーチが聴かれないようになったのは。むかしと違って、時代の流れだろう。いまやブラスバンドもいろいろな曲をやるようになった。

星野仙一が嫌いだった理由

いつだったか、とあるお笑いライブで、ある出演者がこんなことをいっていたんだ。「NHKは、”野村・星野・汚い”の略です」って。奥さんのサッチーがお亡くなりになって、ノムさん大丈夫かと思っていたら、まさか星野が先なんてね。

阪急ブレーブスの呪縛を解いた男【上田利治】

阪急(現オリックス)の指揮を執り、1975年から日本シリーズ3連覇を果たした上田利治(うえだ・としはる)氏が死去したことが2日、分かった。80歳。徳島県出身。現役時代は広島でプレー。74年に阪急の監督に就任して黄金時代を築いた。 上田利治さ…

ぼくらのあこがれライオンズ【永射保】

今月24日にあるプロ野球選手がお亡くなりになった。左サイドスローの流麗なフォームから放たれるその球は、レロン・リーやトニー・ソレイタなどの左の強打者をきりきり舞いさせ、ライオンズで12年ものあいだ活躍した。永射保。その人である。

野球中継のおとも【選手名鑑】

いまの時代はインターネットで検索すれば選手の情報というのは得られるが、インターネットがなかった子どもの時分は、この選手名鑑が唯一の情報源であった。ペーパーバックでよければ、本屋にいけばお小遣いていどで買えた。

不名誉でもなんでもない【鈴木康二朗】

昭和から平成に変わったばかりのころに、『19XX』(ナインティーン・ダブル・エックス)という深夜番組をフジテレビでやっていた。ある年のヒット曲が流れ、その年にあった出来事を映像で流すという内容だった。

がんばれ大島!【元・中日ドラゴンズ大島康徳】

オールドファンの間で異論はあるかとおもうが、大島康徳は中日ドラゴンズの名5番バッターである。3番モッカ・4番谷沢・5番大島のクリーンナップに6番が宇野。長打力のみでいえば最強の打線である。

続・”けいし”と”ひでじ”【ホモサピエンスになりきれていないようなオトコを熱烈に愛するオンナ】

だいぶ前のハナシだ。まだ二十代前半だったころ。合同コンパみたいなものに参加した。員数合わせで呼ばれたので、まあ空気を壊さないようにということで、仏壇の鈴のように座布団の上で、おとなしく座っていた。

”けいし”と”ひでじ”【ホモサピエンスになりきれていないようなヒトたち】

この題名をみて、なおかつ鈴木と加藤だよといわれて、それでピンときたヒトはかなりのオールドプロ野球ファンだ。しかもパリーグまでちゃんとみていたツウなヒトとも言えよう。

月に向かって打て【元ヤクルトスワローズ・大杉勝男さん】

ここは年代によって分かれるところである。大杉勝男は、東映フライヤーズの大杉勝男なのか、ヤクルトスワローズの大杉勝男なのか。昭和48年うまれの管理人が、プロ野球をテレビで観はじめたころには、すでにスワローズのヒトだった。

ユーモラスを鉄仮面で隠した男【加藤初】

この歳になってくると、ふとしたときに、まだ若いのにという訃報に接することが多くなる。じぶんが少年だったころ活躍していたスポーツ選手の場合だと、その強健ぶりが目に焼きついているので、感慨深さもひとしおだ。

テレビ探偵団と浅沼稲次郎暗殺事件と日本シリーズ

『テレビ探偵団』(テレビたんていだん)は、1986年10月12日から1992年3月29日までTBS系列局で放送されていたTBS製作のバラエティで、日曜日の夜19時半からやっていた30分番組だ。僕はこの番組が大好きで、毎週欠かさず観ていた。 もうこの当時から懐かしネ…

山本功児さん安らかにおやすみください

千葉ロッテマリーンズファンにとって忘れられないヒトである。99年から5年間、監督をつとめた。そのあいだAクラスは一度もなかったけれども、2005年日本一の礎を築いたヒトと言っていいだろう。64歳。早すぎる。 DeNAは23日、巨人などでプレ…