KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

本当の江夏を知らない

 つまり昭和48年生まれの管理人は、江夏豊の全盛期を知らないのである。野球のルールを覚えてプロ野球中継を観るようになったのが小学校低学年。僕が目撃した江夏のユニフォームは阪神タイガースの縦じまではなかった。

 


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 今や便利な時代になったもので、こうしてYouTubeで当時の動画が観られる。しかも自分から探したわけでなく、おすすめに出てきたのだ。子どもの時分に見た江夏は、まさしくこの日本ハムのユニフォームの江夏なのであった。

 

 年輩の人にいわせると、江夏の球はそれはそれは速かったらしい。管理人がまだ生まれたばかりぐらいのころだろう。しかしこの動画のころ(1981年)は、スピードではなく絶妙なコントロールと投球術で抑えている。

 

 この動画の味わい深いところが、解説がこの年まで近鉄バファローズの監督であった西本幸雄さんというところだ。江夏はこの年を含め3年連続で日本シリーズに出場しているのだが、前年と前々その年は広島カープにいてどちらの年も相手は近鉄だったのだ。

 

 《江夏の21球》という有名なノンフィクション小説があるが、その舞台は1979年の広島と近鉄日本シリーズである。翌年も同じ広島対近鉄の対決であったが、この年も広島の勝利に終わった。

 


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 そしていまになって想えば、近鉄も西本さんもあともう少しのところで初の日本一を逃し、永遠にそれが不可能になってしまったのだなと。あの頃はよかったというのは、歳を重ねたからこそ言いたくない言葉なのだが、可能性のあるうちに応援できることはただただ素晴らしいことなのだなと思われる。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君のそばにいる。