KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

嫌われちゃうなら哲学やろう

 50歳に突入するまであと10か月を切ってしまった。

 

 男は歳をとるにつれて、孤独になっていく。足の引っ張り合いをやっているうちはまだいい。足を引っ張られてばかりになっていくのだ。そうなると逆ギレするようになって、そして嫌われていく。

 

 一人が自業自得で嫌われていくならまだしも、同性同世代というだけで枠に嵌められて、おまえも同類だといわれ無実の罪で公式キラワレモノになっていくことだってある。

 

 おじさん同士に連帯意識なんていうのもないから、中には若人や女性、力のある者に媚びて、同性同世代のことについて陰口をたたくのもいる。いやいや若ぶっても限界があるのだから。仲間になんて入れてもらえないよ?

 

 そうしてその陰で数多の無名おじさんたちは、孤独感に陥っていく。だが孤独にもメリットがあって、それはしがらみなく、1人で何かを考える時間ができるということだ。

 

 何かを考える。これについては哲学という学問にヒントがある。論理的に考えるにはどうすればいいか?人はどのように生きていけばいいか。存在するとはどういうことか。などなど。こういうことを思う存分頭の中で考えられる。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君のそばにいる。