KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

嗚呼なつかしき高校野球中継

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 1980年ごろといえば、一般家庭においてもビデオデッキが普及しだした感があったが、いかんせんビデオテープは高かった。当時のチラシをみると、120分のテープ3巻で9800円である。1巻3000円以上するのである。

 


1981年 第53回選抜高等学校野球大会 印旛対興南 1

 だというのに、YouTubeでこのような動画があった。この画像のきれいさはとてもじゃないが、3倍速で撮ったとはおもえない。おそらく標準でしかも重ね撮りもしていないと思われる。なぜこのアップロード主は、この映像を後世に残そうと考えたのか。

 

 当ブログ記録者は、千葉県出身で野球をおぼえたての時期だったから、この千葉県代表の印旛高校の試合はテレビで観ていた。印旛高校はこのあと決勝まで行き、優勝まであと一歩のところであったのだが、PL学園に逆転9回サヨナラ負けを喫した。

 

 おもえば印旛高校というのは県立の農業学校で、そんな高校が甲子園の決勝までくるなんて、いまでは考えられないことである。また印旛高校の所在地がまた千葉ニュータウン以外なにもないところであった。

 

 NHKの甲子園中継でおなじみの”ふるさと紹介”を担当したヒトも大変だったのではなかろうか。1回戦の動画なので最初のほうにふるさと紹介も出てくるが、苦労のあとが伺える。那覇市にある相手の興南高校のとは、ネタの量も質も大違いである。

 

 当ブログ記録者は、いまでも高校野球中継をよく観るし、縁もゆかりもないところのふるさと紹介も楽しみにしている。もうおそらく印旛高校(現・印旛明誠高校)を甲子園で観ることはないだろう。

 

 けれどもいまの生徒さんは、学校に飾られているであろう準優勝旗をみて、うちの高校ってむかしすごかったんだってきっと感動するのであろうなあ。甲子園の長い歴史に刻まれた貴重な1ページを見て。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。