KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

本当に闇に堕ちていくかと思われた

 前回から間が開きました。またこういう時があったら、思郎は仕事で心身が疲れ果てているのだなという事にしておいてくださいね。ああインフルエンサーにはなれない。

 

 ここのところ、仕事場から家に帰ってきてバタンキューで寝込んでばっかりでした。体の衰えを気力でカバーなどと言いますが、じゃあ気力ってなんなんだと思われます。

 

 結局は気力も『体力』の延長線なのですよ。気力で乗り切ろうとするのも、所詮は体力の消耗に繋がってしまうのです。つまりは気力なんて言い出した時点で頑張ろうとしないことが肝要なのです。体壊します。息抜きが大事です。

 

 思郎のばあい、息抜きにはドラマを観ことにしています。30分(40分)ぐらいの。人が死ぬみたいな重苦しいのはダメです。気楽に観られるヤツがいいです。有名どころで例えると『孤独のグルメ』みたいなの。それで現実逃避してしまうのです。

 

 そして無理にブログ記事を更新しようとしない。どうせ脳みそが機能しなくてロクな記事になりませんから。だから休んでいたわけです。

 

 これもある意味《ブログの作り方》

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君のそばにいる。