KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

続・最低ジョンレノン【ジョンの生い立ちについて】

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 まずこの話をすすめる前に、ジョンレノンの生い立ちについて、説明しておかねばなるまい。ジョンの父は船乗りであまり家にはいないし、母は他の男と同棲中ということで、ジョン自身は伯母のミミさんに育てられた。

 

 

 またこのミミ伯母さんが厳しいヒトで、なおかつコントロールフリークみたいなところもあった。その反動からか、反抗的な少年時代を送ったわけだ。そのなかで1955年には、血も繋がっていないのに、ジョンに優しかったジョージ伯父さんが亡くなる。

 

 さらには実の母親であったジュリアも、1958年に交通事故で失うという不幸に見舞われる。多感な時期にいろんなことがあったわけだ。それらのハナシもふまえてさらに続ける。

 

ジョンが大好きな私の彼は「理解できる」と言っていました   
克也さんも男性ですから、ジョンの気持ち理解できるでしょう。

 

 これはある女性リスナーが、パーソナリティー小林克也にむけて、リクエストはがきにつづったコトバなのだが、聴いてておいおいと心の中でツッコミを入れてしまった。”男”だからって理解できるかよと。

 

 だってジョンの複雑な生い立ちのことを考えたら、安易に「理解できる」ともいえないでしょうに。離婚でもめている当時、5歳だった息子のジュリアンのことも考えたらなおさら。そんなの”男と女”という二元論で語れるものではないわけだ。

 

ジュリアンには「バーイ」と声をかけただけで、ジョンはサッサと屋敷を出て行った。(先週の放送にて)

 

 ああでも。もしこの場にいたとしたら、ジョンのことぶん殴っているな。生い立ちどうこう関係なく。それぐらい時代も国籍も超越して考えさせられた先週の放送だった。まだまだこのテーマの話は続く。

 

今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。

 

 

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