寺尾聰の「ルビーの指環」が席巻した昭和56年。その11月に、ある女性3人組のコーラスグループが、「ウエディング・ベル」という歌でデビューした。そのグループこそがSugarである。
この曲はクリスマスあたりから徐々にテレビやラジオなどで聴こえ始めて、翌年の昭和57年には「ザ・ベストテン」にも登場するようになった。結果70万枚を売り上げる大ヒットとなる。
Sugarのすごいところは、もうデビューしたときから完成されているところだ。ふつうならばデビューしたしたばかりのころは、どこかまだヘタクソだったりするものだが、3人のコーラスワークは最初からバッチリだった。
しかしこの「ウエディング・ベル」の歌詞はひどい。なにがひどいって、ふつう前のカノジョを自分の結婚式に呼ぶだろうか。ありえない。実際いまこんなヤツが近くにいたら、小一時間はそいつにむかって説教することであろう。
Sugarは当時の千葉市立高浜第一小学校4年3組でも話題になっていた。よくどのメンバーが好きかと聞かれたものだが、自分はモーリという、記事冒頭のレコードジャケットでいうと右側にいるヒトがいちばん好きだった。
だが歌番組にカノジョたちが登場する機会が少なくなってクラスで話題に上がらなくなっていくにつれ、自然と忘却の彼方に追いやられていった。デビュー曲は大ヒットしたのであるが、それ以降が続かなかったのである。
グループじたいは6年存続したというのに。カノジョたちは昭和57年の年末に、最初で最後の紅白歌合戦出場を果たし、そこで”現象”みたいなものは幕を閉じたのであった。
そしてふたたびSugarの話題が目にふれたのは、悲しいことにモーリの訃報のときであった。29歳という若さであった。訃報に接するまで、グループが解散したことも、モーリが結婚していたのも知らずにいた。
そういえば、いつかのザ・ベストテンで、登場するときのエレベーターに、ミキとクミしかいないということがあった。なんのことはない。モーリはふたりの後ろに隠れていて、すぐにひょっこり出てきたのだが。
そのときは、あ!モーリがいない!とあせったものだ。当時ニュースを観ていて、そときのことを思い出していた。昭和が終わりをつげて間もないときの話である。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。