KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

犬や猫はあくまで犬畜生なのである

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実家の愛犬トラちゃん。大切な友。

職場に「飼い猫の具合が悪いから」という理由で休む人がいる。自分の子供ならともかく、ペットを理由に仕事を休むのは社会的に認められるのか。そんな25歳の会社員女性から寄せられた質問がきっかけだった。

これに対し、有吉さんは「(ペットは)放っておけないよね」と切り出すと、

「もう、そういう世の中だしね。OKなね。ペットは家族って、大分認められてるでしょ?」 とペットを家族の一員としてみなし始めた社会の流れを指摘。

「ペットの具合が悪い」と会社休む世の中に 有吉の見通しに賛否、「わかる」「アホらしい」 


動物は嫌いではないけれども、緑の少ないところ、しかも団地とかマンションで犬や猫を買うのは、どうかとかんがえている。それにつけくわえて、動物を家族同様にあつかう人というのも。どちらも不自然だ。


だがもちろんこんなことは、動物を飼っていない親しいひと意外には面と向かっていわない。タクシーの運転手さんは、お客さんとのあいだで話題にしてはいけないテーマというのがある。それは政治と宗教とプロ野球だ。それらと同様にペットについてはナイーブなもんだいだ。


だからこうしてブログで書くのだが、犬や猫というのはあくまで犬畜生にすぎない。これが前提なのである。だからこそ犬や猫というのは自然が豊かなところで飼うべきなのである。そしてにんげんと同等ではないし、家族だとおもうのは、動物にとってありがた迷惑なのだ。


過剰に病院にいくよりかは、自然に天命をまっとうさせるほうが動物想いというものなのだ。


そもそも動物が病気になるのなんて、にんげんは不自然なことをするからなるのである。狭いところで飼ったり、血統書付きにこだわったりとか。こういうにんげんこそ動物にとっては迷惑な存在なのである。


だいたい動物は家族というのヒトというのは、もし災害なんかが起きたときに、飼っているペットと見知らぬヒトが同時に危ない目にあっていたとして、どちらを助けるのであろうか。 小生ならば見知らぬヒトを助けるが、やはりペットのほうを助けるのであろうか。


一方最近では、ペットの死や病気を理由にした休暇を認める会社も出てきた。通販大手のアマゾンジャパン(東京都目黒区)は10年9月から、有給休暇以外に自身や家族の病気を理由に取得できる「パーソナル休暇」をペットにも適用させた。また、ペット用品などを手がける住宅メーカーのヤマヒサ(大阪市)もペットが病気になったり死んだりしたとき、社員が有給休暇を取得できる制度を設けている。
 

しかしひそかに確実に世の中もうごいている。そういう時代になっていくのであろうか。職場のヒトに迷惑をかけてでもペットのために休む。それがにんげんとしてあたりまえな社会になっていくのだろうか。なにかイヤな気がする。休めるヒトと休めないヒトの不自然な格差が生まれそうで。