KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

【日記】「日記はじめました」と「映画」と「TVブロス」

日記はじめました

冷やし中華もおわりを告げるころに。
このブログでは、いろいろなボツネタというものが存在するのである。思いついたのはいいが、考えがおよばず、長さも質もコラムとして成立しないというネタが。しかしふつうの日記形態にしてみれば、なんとかなるのではないかと。
思いつくネタというのは、生活と直結するのである。だから、なんで思いついたのか。どんなときに思いついたのか。どんなことをしていて思いついたのか。せっかくだから、数行だけでも記していこうとかんがえたのである。
いちおう基準としては、このブログは昼の12時に時事ニュースかテレビ、22時に懐かしネタかユルイ話題とわけていたのだが、日記を22時にもっていこうかとかんがえている。1日の最後だから。ちょっとまた構成はかんがえよう。


映画をひさしぶりに観にいった 

先日の話なのであるが映画を観にいった。「HERO」である。そのむかし松たか子が好きだったというのもあるし、いや人妻になった今でも好きだよたか子、いっしょに観にいくひとがいたので行ったのである。
内容はよかった。寝ないでけっこう真剣に観た。まあテレビでやればいいじゃんというはなしなのだが、やはり映画じゃないとできないこともあるわけだ。予算とクオリティとの兼ね合いで。
映画の本編がはじまる前というのは、地元のお店などのCMと映画の予告編をやる。むかしとちがって、いまのCMはきれいになった。むかしの映画館のCMは使い古されて、映像に黒い雨が降っていたものだ。
次に映画の予告編なのだが、進撃の巨人とか図書館戦争など、その他にも映画会社は違えどパニック映画っぽいのが多いなあという印象。映像技術の向上で迫力はあるのだろうけども。だからこそ、よけいにグロデスクになってしまうという印象を持った。


TVブロスはブレず

TVブロスは毎隔週愛読しているのだが、数多いテレビ雑誌のなかで、他の雑誌はみんなSMAPだったのに、TVブロスだけは表紙がチーム・ナックスといういつものTVブロス。 さすがだ。



いじょう。需要はあるのだろうか。