KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

山本功児さん安らかにおやすみください

 千葉ロッテマリーンズファンにとって忘れられないヒトである。99年から5年間、監督をつとめた。そのあいだAクラスは一度もなかったけれども、2005年日本一の礎を築いたヒトと言っていいだろう。64歳。早すぎる。 

DeNAは23日、巨人などでプレーし、ロッテで監督を務めた山本功児さんが同日午後1時41分、肝臓がんのため北九州市の自宅で死去したと発表した。64歳。

元ロッテ監督・山本功児氏が死去 息子はDeNAの育成選手・武白志 

 山本功児さんというと、どうしてもあれを思い出す。宇野ヘディング事件である。あのプロ野球珍プレー史に残るエラーのきっかけになる打球を打ったのが山本功児さんだった。宇野選手のエラーそのものも笑ったが、調子に乗ってホームまで突っ込んでアウトになってしまった功児さんにも笑えた。

 功児さんがあまりにも高いフライを打ち上げたものだから、宇野選手の頭に当たってボールがえらいところまで転がってしまう。そのときに外野フェンスの広告が映るのだが、最初は「フコク生命」で、命に危険が?と思わせておいて、最後は「サロメチール」で薬塗っておけば大丈夫というオチがつく。


証拠VTRがこちら 

 その功児さんと宇野選手が、コーチと選手として93年にマリーンズで一緒になったときは、なにかの運命を感じずにはいられなかった。マリーンズはその後もずっとBクラスだったが、 功児さんはずっとコーチとして支え、その後監督になった。

 マリーンズは某監督が辞めるときに「もっと強いチームで監督をやりたかった」と言われるほど弱いチームであったが、そんなチームを長年支え、5年も監督をやり続けたのは、人徳とマリーンズに対する想いがあったからだと確信している。

ありがとうございました。どうか安らかにおやすみください。