KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

大海を見た山あいの町の子供たち【池田高校野球部と蔦文也監督】

 今年も甲子園がはじまった。しかし日本にはせっかく高校野球という素晴らしいイベントがあるというのに、東京オリンピックをなぜわざわざ夏にやろうとするのだろうか。

  オリンピックは秋でいい。10月10日は体育の日だけれども、これって先の東京オリンピックの開催日だろう。日本の気候を考えたら、10月にやるのがモアベターじゃない?話がのっけからそれたけれども。


 さいきんの高校野球もね、ちょっと不満があるんだ。強豪校といわれるところが他県からスカウトしすだ。大会屈指のピッチャーといわれる横浜高校のエースは千葉の子なのだ。

 それにこないだ大きな地震のあった熊本の代表校なんて、ベンチ入りの選手の中に熊本出身の子が一人もいないしさ。こんなんでさ、震災があったけど熊本を代表して頑張りますとかいっても、なんだかなあってかんじじゃないか。

 しかしさいきんの高校野球ファンでもなにが悪いの?っていうヒトが多い。勝つためならいいじゃないかと。そういうヒトは、プロとアマチュアの区割りができていないんだよ。プロなら勝てばいいでいいけど、アマチュアはそうじゃない。

 そんなことを考えていると、池田高校の記憶がよみがえってくるのだ。池高は山あいの普通の県立高校で、選手はみんな地元の子だった。それを蔦監督が熱血指導で甲子園に導いてきた。大海を渡ってやってきたのだ。

 部員11名で選抜高校野球準優勝したり、それから高校野球も金属バットになったからといって、部員の上半身を鍛えてすごい打力のあるチームを作って甲子園優勝したり。

 野球少年にとって、畠山や水野に江上が躍動する姿は、本当にあこがれだったんだ。そしてそんな選手をまとめる蔦監督は、ほんとうにかっこいいヒトだった。そんな蔦監督もふだんは酒好きな社会科の先生なのだそうだけど。

 まあそんな時代があったって話さ。いまや時代の流れは変えられないよ。少数派のロマンチストがなにを言ったってさ。ただただ地元の代表校を応援して、夏の風物詩を楽しむのみだ。

今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。