読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

昭和50年代少年のKOTOBASM

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

運命の分岐点「タイガーマスク伝説~覆面に秘めた葛藤~」【ダイナマイト・キッド】







1981年4月23日、衝撃のプロレスラーがデビューした。初代タイガーマスク。コーナーポストに立ち、見たこともないスピードで繰り広げる華麗なファイトは“四次元殺法”と言われ、子供から女性までを魅了した。だがそのマスクの下で、当の本人だけが葛藤を抱えていた。裏方たちの思惑、アントニオ猪木の言葉、そして史上屈指の身体能力と言われた天才・佐山聡の苦悩。仮面の下に隠された素顔のヒーロー伝説に迫る。

『アナザーストーリーズ 運命の分岐点「タイガーマスク伝説~覆面に秘めた葛藤~」』より


四次元殺法 タイガーマスク誕生秘話



  前回の記事からの流れ。マンガやアニメの登場人物だと思っていたタイガーマスクが実物として出てきた。おそらく僕が当時、大人であったなら、子供だましとして切り捨てていたかもしれない。でもいかんせん子どもだったので、そのころの子ども同様にテレビの前で夢中になっていた。

 おそらくそれが原因で、大人になった今でも、佐山聡扮するタイガーマスクを、初代のマンガとアニメ同様に認めてしまうのかもしれない。あのころの佐山タイガーはすごかった。古舘伊知郎いうところの”四次元殺法”というコトバは大げさではなかった。

 登場のきっかけというのは、原作者の梶原一騎先生が、新日本プロレスに企画を持ち込んだことからはじまる。当時、佐山聡はイギリスに遠征していて、現地のチャンピョンを目指していたのだが、このふってわいた企画のため帰国することになる。本人は乗り気でなかったらしい。そりゃそうだ。チャンピョンになろうとしていたのだから。

 それが当時の営業本部長・新間寿の必死の説得で、デビューとなったわけだが、デビュー戦の相手に恵まれた。これまたすばらしい才能を持ったダイナマイト・キッドという男だったからだ。これがもし弱い相手であったらインパクトは残せなかっただろう。カレは”四次元殺法”をきっちりと受けて負けた。

 タイガーマスクはライバルに恵まれていた。ダイナマイト・キッドの他にも、”虎ハンター”小林邦昭という男が。タイガーマスクが大活躍のころに突然現れたカレは試合中にマスク剥ぎという暴挙に出る。

 タイガーマスクがあまりにも強すぎて鼻についていた僕は、小林邦昭を応援していた。悪役なのだが、見てくれもカッコよかった。僕はひねくれ者の少年だったのだ。タイガーマスク人気はそこからさらにヒートアップしていった。

 しかしNHKがタイガーマスクを題材にするとは驚いた。プロレスとは無縁の存在だと思っていたからだ。だがやはりなんだかんだいってもNHKの取材力はすごい。いままで行方不明といわれていたダイナマイト・キッドをイギリスまで行って探し当てたのだ。

 キッドは突貫小僧とあだ名され、小さい体だが危険をかえりみない激しいファイトが特徴だった。それに加えて、筋肉増強剤を使っていたんだとおもう。レスラー生活の最後のほうは、筋骨隆々だった体が、見る影もなくやせ衰えてしまっていた。体がボロボロになっていたのだ。

 それから車いす生活になったというのは有名なハナシなのだが、それから消息を絶っていた。だが今回番組でキッドがどういう生活をしているのか、テレビ画面をとおして目の当たりにすることになる。

 57歳という若さで介護施設に入所していた。見てはいけないものを見てしまった気がした。あの小さい体で、アブドラ・ザ・ブッチャーをブレーンバスターで投げた男がこんなになってしjまったなんて。でもそれが現実なのだ。大人になった僕は、受け止めなければならないのだ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。