KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

デヴィ夫人も今井舞も…謝らないでほとぼり醒めるの待った者勝ち社会



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デヴィ夫人という人は本当に謝らない人である。
テレビの収録で観客にビンタした時も、都知事選のさなかにメルマガで田母神俊雄候補の応援をして公職選挙法違反の疑いをかけられたときも頑として謝ることはしなかった。
それどころか、ビンタの時はその場にいた女医の西川先生に矛先をかえて攻撃したり、都知事選の時は私は日本人じゃないからと開き直ったり。
それに対して誰も疑問を持つことなく、いつの間にかうやむやにされている。

かたや悪ノリで小保方晴子さんの架空記事を書いた今井舞も、掲載した朝日新聞が平謝りの中、表に出てこないでほっかむりを決めこんでいる。
みんなが朝日新聞に目をむけているから、今ごろシメシメと思っているかも。

テレビそしてネットからたくさんの情報が溢れ出てくる世の中。
その情報に削られていつの間にか風化してしまい、世間ももはやどうでもいいということになってしまうのだろう。
それを待ったものが勝ちになってしまっている。
下手に表に出て謝ると、かえって世間の「重箱の隅つつき隊」の攻撃に晒されてしまうのでということなのかもしれない。

まあ世の中には子どものころの遊びにいた小さい子がなる「マメ」みたいなペナルティを受けない存在っているんだよな。
なんだかなあって感じだが。

それじゃ失敬。


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(2014/02/10)
中谷 彰宏

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