KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

高田純次という存在は青春そのものでした

この記事がアップされる予定の26日からすると明後日だ。ひさびさに楽しみなテレビ番組の放送開始がある。テレビ朝日で平日の 9時55分~10時30分放送の『じゅん散歩』である。9月28日(月)、高田純次の町歩き番組がいよいよ始まる。


ワタクシも録画予約しました。第1回から最終回まで全部録画する所存であります。この番組はもはや自分のなかで通信教育です。それぐらいもう中学生のころから尊敬してやまない人なのですわ。ええ。


還暦すぎてもケツを出して馬鹿なことをする。そんな表現者でありたいのです。飾り気のないヒトっていますけど、高田純次というひとは、飾りまくっている方です。本来の姿は適当キャラではないのですよきっと。でもそんなことはおくびにもださない。


人目があるとわかったら、瞬時に飾りをつけるのが、高田純次というひとなのです。テレビではまったく素の部分を出さないのですわ。やはりこのヒトは役者です。テレビに映る空間を瞬時に舞台にしてしまうのですね。


高田純次といえば、ワタクシが中学生だったころに日本テレビで日曜日の夜8時からやっていた、「天才たけしの元気が出るテレビ」がおもいだされます。じぶんはいじめられっ子だったので、月曜日がもうすぐやってくるとおもうとユウウツだったのですが、このヒトをみるといやなことを忘れるのでした。


やることなすことおもしろくて、腹かかえて笑いましたから。エンペラー吉田やジェット浪越そしてヘビメタ、このヒトたちが笑えたというのも、ご本人たちのキャラもさることながら、純次の盛り上げもそうとう寄与してたとおもわれます。


そして純次は純次で、ヒトが朝ねているところに黙って乗り込んで大音響のバスーカーをぶっぱなしたり、清川虹子さんの五千万円する指輪を口にふくんで、かんでいたガムをくっつけたり、まさに怖いものしらず。


あれをみてしまうと、じぶんには怖いものなどなにもないと錯覚してしまうのでした。いまかんがえると、本当に効率のわるい笑いのとり方ですあれは。いまはもうそういうのはあまりやらなくなりましたけど、往年の素人いじりはいまだ健在。となると、こんどのじゅん散歩もタダではすまされないでしょう。ひじょうに楽しみです。