KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ベビーカー問題ふたたび

 電車でのベビーカー利用への理解がなかなか浸透しない。

 国は折りたたまず“堂々”と乗ることを推奨しているが、認知度は伸び悩む。利用促進に国が提唱するマークを掲示しない在阪鉄道事業者の存在も理解浸透の足かせの一つになっているとみられている。ベビーカー利用でのトラブルも散見され、専門家からは「配慮を検討すべきだ」との声が漏れる。

昨年10月中旬、大阪市中央区の女性会社員(30)はベビーカーで昼寝中の長女(3)と電車に乗り込むと、車内にいた女性に舌打ちされた。大きな荷物を持つ乗客よりもベビーカーの方が反感を買いやすいと感じ、女性は「子供に危害が及ばないように」と乗車時は気が抜けない状態が続いているという。

ベビーカーの鉄道利用は「悪」か…国推奨「たたまずOK」掲示少なく、理解伸び悩む  

 いやいや。もはやマークうんぬんの問題ではないだろう。そんな細かいことをどうこうしたところで解決はしない。マークをつけていようがつけていまいが、ベビーカーごときで舌打ちするようなニンゲンの対応は変わらない。

 これはもう日本人の働き方の問題だ。みんなが揃って同じ時間に出勤し、朝礼をやらないといけないという会社が多すぎなのだ。みんなが同じ時間で電車に乗りすぎなのである。もっと働き方が自由になれば、少しは改善しそうなものではないか。

 フレックスタイムはもっとみんな使ってしかるべきであるし、在宅勤務できるニンゲンは在宅でやればいいのだ。なのに世の中縦割り社会が幅を利かせすぎて下の方のニンゲンは通勤地獄などの抑圧に耐えることが上に対する忠誠の証しみたいになっている。だから見ず知らずのニンゲンを思いやる余裕が生まれないのだ。

 そもそもベビーカーが乗ってきたぐらいで舌打ちするようなニンゲンは電車通勤に向いていない。近場の自転車で通える職場に転職したほうがいい。よく考えればわかるはずだ。社会にとって、自分と子どもとどっちが大事なのかということは。 

 要は社会のありかたの問題なのだ。