KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

基地反対というなら肉体的先制攻撃はするなというハナシ



 僕は心情的には基地反対派のニンゲンである。戦後より今まで、沖縄のヒトたちがどれだけ犠牲になってきたかというのもわかる。だからといって、一方的に暴力をふるっていいかといったら、それはちがうハナシだ。

 ちがうハナシであることを前提にしていえば、この機動隊の若者にたいする肉体的暴力は許されるものではない。これこそが争いの悲惨さを物語っているからである。正義を語る者の肉体的暴力というのは、いちばんタチが悪い。

 たいてい争いの前線に立たされるのは、若い男子である。この機動隊の青年は暴力をふるいたいから機動隊に入ったのではなかろう。これは僕の想像だが、おそらく東京の子ではないだろう。純朴そうな若者である。

 希望をもって機動隊に入って、マジメに訓練を受けてきたに違いない。いざ有事になって、肉体的暴力にさらされるのは、こういう若者なのだ。基地反対・平和な世の中をというのなら、こういう若者にたいして肉体的に先制攻撃を加えるな。本末転倒もはなはだしい。やっていることがそれこそ”土人”だ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。