KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ちくわぶの入っていないおでんはおでんじゃない

全国にフランチャイズ展開している、たこ焼きのチェーン店「築地銀だこ」。ここのたこ焼きを食べた関西人は、なぜか一様に同じ言葉を発する。

「こんなんたこ焼きちゃう!」

関西人は、「銀だこ」のたこ焼きを認めていない。生まれも育ちも関西である私も食べたことはあるが、やはりたこ焼きだと認めることはできなかった。

「築地銀だこ」の“たこ焼き”が、関西人に嫌われる理由 


All About News Digさんのこの記事を読んで思い出す。関西人というのは、われわれがいちばん味がわかっていますということをよくアピールしている。それでもこのようにたこ焼きみたいな大阪発祥の食べ物にかんしていうのはわかる。

ただ関西人がいうことばで、千葉出身の小生がカチンとくるのがある。それが薄味アピールである。アピールするため、そばやうどんの汁の濃さを揶揄するのが気にくわない。 おまえ千葉の醤油disってんの?ってテレビの前とかでも平気で言ってしまう。


それにたいして関東のひとはなにもいわない。いわないだけなのである。いえないのではない。そういうおくゆかしさみたいなものが、関東にはあるのである。言葉だけとっても、千葉の人間が大阪にいると大阪にいるなら大阪のことばを使えと言われる。だが千葉の人間は千葉にすむ大阪人にこっちの言葉を使えとはいわない。  


さてはなしは本題だ。おでんというのは、関東が発祥である。なのになぜ関西人はおでんを関東炊きというのか。関東のおでんはおでんなのであって、じぶんのところでおでんといわれているものを関西炊きとでもいっておけというはなしだ。


濃口醤油で作っただし汁。それでおでん種を煮込む。その過程でいろんな味が染み込んだちくわぶ。このちくわぶがなければいけない。ちくわぶというのは、そのふところの深さでいろんな味をつつみ込む愛をもったおでん種なのである。 


ちくわぶ。それは小麦粉と塩と水のみで作られた安価で庶民的な具材である。しかし煮込んでいくと、えもいわれぬモチモチ感でわれわれを楽しませてくれる。こういう気取らない存在があってこそのおでんなのである。異論はみとめない。