KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

稲垣吾郎のファンを敵にまわすと怖いわけ

、大仕事を終えた菅野だけでなく、病院スタッフをはじめとした、全ての人への感謝の気持ちを綴った。

 この堺の配慮に対し、「こんな気遣い、稲垣ではできなかっただろうな」「美穂ちゃんの男を選ぶ目は確かだった」と、菅野のかつての恋人・SMAP稲垣吾郎を引き合いに出し、堺との結婚が正しかったとする声がネットで上がっている。

菅野美穂、第一子出産で「夫が堺雅人でよかった!」と祝福の声が上がるワケ 


とかく男と女が一緒になるのには、そのときの年齢とかタイミングというのが重要であったりする。別れたからといって一概にはどちらが悪いとはいえない。また出会った時期にちがいがあれば、どっちの男(もしくは女)がよかったかなんてくらべる由もないわけである。


これは小生が42年間生きてきて、さまざまな女性との出会いと別れをくりかえした結果、導きだしたこたえである。それをふまえて言うと、この記事は悪意にみちているなあということになる。”ネットで上がっている”といわれている言葉だが、そんなものは検索しても、どこにもみあたらない。


この記事元はSMAPをくさすことが日常茶飯事なので、めずらしくもなんともない。だがこんどばかりはさすがに、SMAPひいては稲垣吾郎ファンの怒りをおもいっきり買うのではないだろうか。そうみている。


書いているほうは、”ネットで上がっている”といってあくまで責任のがれしているが。嵐のことはぜったいにわるく書かないのに、SMAPばかりわるく書くというのも吾郎ファンの憎悪を増大させる重要なポイントである。またなんといっても吾郎ファンというのは、少数派であれど修羅場をくぐりぬけている。


かれが事件を起こした時でも、ものともせず応援しているコアなひとたちだ。記事元は不特定多数の人を笑わせようとして書いた記事かもしれない。けれどもサイレントマジョリティよりも、コアなひとたちのほうが、えてして怖い。とりあえずサイゾー編集部に、頼んでもいない特上寿司が大量に届いたりしないようにいのるばかりである。


しかしおもうのが、これでもし堺と菅野がわかれてしまったらどうするんだということである。いまは幸せの絶頂であるが、こればかりはわからない。だからほんとうに男と女の縁というのはむずかしいのだ。