押切蓮介「ピコピコ少年」より
マンガそのものとしては昭和ではないけど、昭和的題材を扱っているということで、このカテゴリーにしてみたよ。作者の自伝的マンガであり、ファミコンとの出会いから物語ははじまっているんだ。
主人公が小学校1年生のころ、初恋の子がファミコンを持っていて、その子の家でいっしょに遊んでいたんだけど、その子は勉強ができなくて、親にファミコンを禁止され、主人公にあげてしまうのね。
主人公はファミコンにハマっていくんだけど、おかげで初恋の子とは疎遠になってしまうわけさ。結局その子は頭がよくなって、ゲームにハマって成績の悪い主人公を小学校6年生になって軽蔑の目でみるようになるのね。これがまたイヤな目つきしてんだ。
そんなことを自伝的な作品に第一回目で描くなんて、すげえエッジが効いているなあと最初に読んだときに俺は思ったよ。そして第二回目で今回のコトバが出てくるのだけれど、不思議と悲壮感は感じられない。
俺は勉強もスポーツもからっきしダメで、ファミコンも買ってもらえなかったから、ゲームもヘタクソでね。だから悲壮感を感じないのかもしれないね。ゲームだってうまけりゃ同性の友人には尊敬されるじゃない。俺にはそれもなかったからね。
それでもゲームがしたけりゃどうしたのかというと、自分でチラシの裏にお手製のボードゲーム作って1人で遊んでたわけ。こんなの友達には見せられないさ。だから孤独な少年時代だったね。
そんなのやっているぐらいなら、勉強すりゃいいのに、そのことにも気づかない、混じりっ気なしのバカだったのさ。バカっていうのは、勉強しないからバカなんじゃない。勉強するということに気づかないからバカなのさ。
だから純粋に、この作者の”自分のことをマンガに昇華する才能”がうらやましく感じるね。学校の勉強をしなかっただけで、バカじゃないからさ。混じりっ気のないバカにはこんな表現できないものね。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。