ちなみにこのコトバは、ヘンリー・アーノルドという第二次世界大戦時のアメリカの元帥のものだ。戦争について描いた映画を観に行って、帰りに思い出したのだ。ある程度とはどの程度なのか。
そもそもその基準は誰がきめるのか。神の御名においてって言えば、ニンゲンがきめても許されるのか。なんにしろ無差別爆撃なんていうのは、神がなんといおうが、不条理このうえない。
なにが不条理かというと、ニンゲンの死ぬ順番というのを、無差別爆撃というのは、大きく狂わせるのである。ニンゲンの命の価値というのは誰もがいっしょではない。小さな命こそはいちばん守られなくてはならず、老いた者はまっさきに死ななくてはならないのだ。
これは生物にとって合理的なものである。それを破ることは大いなる罪なのである。そして小さな命を失う年老いたニンゲンの存在ほど残酷なものはない。生きていることそのものが罪悪感にかられてしまうからだ。
さいきんまた、日本の戦争の罪がどうこう言われているが、じゃあどれだけ日本人は他国の小さな命を奪ったのか調べてみるといい。またそれに関連して、どの国なら許されて、どの国は許されないとなるのなら、そういう考え方こそ罪深いと自覚すべきだ。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。