KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

渡辺照宏(1987)『死後の世界』岩波書店

 宗教的または哲学的思惟に慣れている現代人は、永遠の生や死とか無限の時間というようなことを宗教に結びつけて考えるが、そのような観念は最初からどの宗教にもあるわけではなかった。


 死後、地下の墓場のようなあの世で無意味に暮らしている死者たちが、いつまでそうしていられるのか、というようなことを古代人はあまり考えなかった可能性がある。それはいわばそれから先はどうなるかあまり考えられなかったらしいということになる。

 しかしあの世の死者がさらにどうなるかという問題に興味を持つとすれば、いろいろな説明が可能である。

 

 多くのアフリカの民族、メキシコのウイトト族、オーストラリアののアランダ族などは、死者がその氏族の一人として生まれ変わるという信仰を持っている。この考えの分布は実際はもっと広いと推測される。

 この類の考え方で珍しいのは、チベット人の場合である。ダライとバンチェンというチベット仏教高位のラマなど、多くのラマについて転生ということが言われる。一人のラマが死ぬと、その葬儀のときにあらわれた色々な徴候によって、彼がどの方向に転生するか知られ、調査の結果、候補者が見いだされる。チベット人は多くの有力寺院の候補者をこの方法で決めてきた。

 

 死者がこの世に戻ってくる方法のうちで、比較的簡単な考え方として、古代インドの例がある。死者の火葬の煙とともに死霊が天にのぼり、のちに雨にまじって降ってきて、地面の中に入る。そこで植物の根から吸い上げられ、その植物を食べた男の精子となり、女の胎内に入って生まれてくるというものである。

 このように死霊が天地の間を往復するという考えを古代インド人は理論的に仕上げ、祭式と結びつけた。真理を正しく知るものは、火葬の煙からさまざまの道を経て太陽、月、電光に入り、涅槃に到って二度と戻らない。これを神の道という。その他の善人は、天地の間を往復し再度生まれてくる。これを祖霊の道という。バラモンの思想によれば、この二つの道のうち、神の道が最高の理想とされた。 

 

 ウパニシャッドという、サンスクリット語によるヴェーダの関連書物が書かれた時代には、カルマ(業)の説と結びついてインド特有の輪廻説が広く行われるようになった。人間の死後の運命は生存中における善悪の業によって定まる。それによって神々の仲間ともなり、動物や植物にも生まれる。カルマが続く限り、この輪廻から解脱できない。どうすれば解脱できるかというのが、インドのすべての宗教や哲学にとって最大の課題であった。そしてこの問題に取り組んだ。輪廻から解脱した状態が涅槃であり、生死のない絶対の世界である。

 解脱した状態については、二つの見方がある。一つには苦しみはもちろん喜びさえもない、絶対的な静寂の世界で、インドの古い仏教の一部などは、この見方をとる。二つ目の見方として、生死を解脱し、苦悩を克服した世界には歓喜のみがあるというものがあり、多くのバラモンはこの考えを認め、大乗仏教もそれに近い。

 インドの輪廻説はオリエントを通じてギリシャにも影響を与えたといわれる。ギリシャに古くからあるオルフェウス派やピタゴラス派の教えでは、人間は多くの生涯を輪のようにくりかえし、動植物にも生まれ変わり、最後には虚空界に帰着するという。このインドの輪廻説によく似たこの思想はヨーロッパでは特殊な人々の間にしか広まらなかった。

 

 すべての人が死ぬということは否定できない真理である。この宿命を免れようとする意識的な努力が色々な形でなされてきた。古代エジプトやインカの王たちは、ミイラとして遺体保存することによって不死が得られると信じた。

 不死は色々な意味に考えられている。現在の肉体のまま、または別に同じような肉体を新たに獲得して、現世と同じ生活を続けるという素朴な考え方から、肉体を離れて精神の自由を得ることいを不死と名付ける立場にいたるまで、あるいはまた一度は肉体の死を迎えても、世の終わりに肉体として復活し、最後の審判の結果、善悪を区別され、それぞれに永劫の祝福または呪詛を受けるという不死の信仰がある。

 

 エジプトやオリエントには不死の儀礼があり、秘儀を伝授されたものたちは、死の恐怖を免れ、喜びと幸福との永遠の生命にあずかることができた。これらの教義では浄化(カタルシス)を必要とし、道徳的な生活をしなければならなかった。奥義を許された人々のみで営む秘儀にその特色があったのだが、その模様は外に洩れなかった。したがってその内容については、ほとんど知られていない。

 

 ただこれらの秘儀がすべて農耕儀礼にあったのは確かである。農民は春に種をまき、秋に刈り入れることを大地の生命として感じとっていた。刈り入れが終わると大地は死に、翌年の春に復活する。その復活は自然のなりゆきに任せておくわけには行かず、祭典によって復活させなければならないと信じられていた。それが農耕儀礼であった。キリスト教の年中行事であるクリスマスやイースターも、もとはすべて農耕儀礼であった。人間もまた同じように復活しなくてはならないと古代人の論理は断定する。大地の復活は神々の復活でもあり、神が一度死んでまたよみがえるという神話はその意義を伝える。大地をよみがえらせてくれるように、死者をも復活させてくれる。こうして秘儀にあずかる人間には不死の恩典が授けられた。 

 

 肉体の生死にはかかわらず、精神が絶対自由の境地に達することを不死となづけることは、洋の東西を問わず、哲学においてしばしば説かれた。古代ギリシャでも肉体の不死はほとんど問題にならなかった。

 しかし現実世界の宗教はいずれも、大昔からの死、再生、不死に関する民間信仰の遺産を保存し、数千年以来の儀礼を同じように行っている。それを捨てきれないところに人間の弱さがあるが、またもし一挙に古い形式を破壊しようとするならば、われわれの精神生活の全体系が脅かされる危険もあるということを考えておかなければならない。