先日の自分の心を知る方法のつづきです。
”雑多なものが流れて通るのを完全に止めてしまって、川床の状態を仔細にしらべてみる”
私自身はしたことがないのですが、あれがそうだったのではないかなと思うのです。
私のパートナーだったミィさんの亡くなる前の状況です。厳密にいうと病院で昼は私もいてコトバを交わしたりもしていたので、流れを完全に止めたわけではないのですが。
病室には時計がなく、最初はスマホをかたわらに置いていました。テレビもラジオもない。本を読むというわけでもなく、スマホでネットをみるわけでもない。そのような状況で病室にいました。夜ひとりでなにか思索していたのではないかと思われます。
入院して3日目。亡くなる前日にふと、時間について、どうでもよくなったと漏らしました。ヒトというのは、死の境地に立つと、そうなるものかなといまでも思われます。時間を意識するというのは、自分の現世における実存を意識することなのかなと。
そういった状況で、なんらかの悟りをみつけたのではないでしょうか。 それこそが自分の”心”というものなのかもしれません。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。