KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

クワタがなんかオカしい


サザン「ピースとハイライト」は政権批判? 解釈で波紋 

31年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場したサザンオールスターズ。そこで披露した歌が反響を呼んでいる。どうしてなのか。
 昨年の大みそか、ちょびひげを付けた桑田佳祐さんがテレビ画面に映し出された。横浜での年越しライブ会場から中継で登場した桑田さんが歌ったのは「ピースとハイライト」だった。

 世界各国の言葉で「平和」という文字が映し出された映像が流れる中、桑田さんは少しおどけたように歌った。

 ♪都合のいい大義名分(かいしゃく)で

 争いを仕掛けて

 裸の王様が牛耳る世は……狂気

 この「都合のいい大義名分」を、集団的自衛権行使容認のための憲法解釈変更に重ね合わせて聴いた視聴者らがネットで反応した。曲名を「平和(ピース)と極右(ハイライト)」と読み替えたり、「裸の王様」を安倍晋三首相への揶揄(やゆ)と受けとめたり――。

 ツイッターなどにはこの歌の「解釈」を巡って賛否の投稿が相次いだ。

いったいどうしたというのだろう。
サザンオールスターズじゃないこんなの。
海辺に止めた車の中で、思いにひたれる歌を作ってくれ。
そう願ってやまない。

権力を批判することじたいはいいけれども、それはサザンオールスターズの仕事ではないのだ。
商業主義でもいい、海とシモネタの歌でいいじゃないか。
もし本当にライブ中にズボンの後ろポケットから紫綬褒章を出したのなら、天皇陛下からいただいた褒章を粗末に扱うのは今後やめてほしい。
そう願ってやまない。

右とか左とかクワタとか関係なく、権威と権力というのは分けてほしいのだ。
日本という国は、敗戦という悲しい歴史を乗り越えて、いまの象徴天皇制に至った。
そして今の天皇陛下は、それをふまえて平和のために尽力してきたのだ。
天皇陛下天皇陛下を盾にして権勢をふるおうとしたり笠に着る人間とをいっしょくたにしないでくれ。

そう考えるのだ。
そしてもし平和を願うのであれば、どんな相手であってもその相手が大事にしている文化というものを尊重しなければならない。
優劣をつけてはいけない。
文化というのは、政治とは切り離されるべきものなのである。

昭和天皇が戦後、人間宣言し国民の象徴となり、政治とは一線をひいた立場となった。
そして天皇陛下は神事をとりおこない、国民の幸せを祈ってくれている。
それは日本という国のほこるべき文化なのだ。
天皇陛下を利用して、人を攻撃する根拠にするのは、平和をおびやかす要因になるだけだ。

クワタ。
初心にもどれ。
いまこそシモネタだ。
マンピーのGSPOTをこえるものをぜひ。