KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

歌丸師匠の暴君ストリート


笑点大喜利を観ていると、司会の歌丸師匠の強権発動がものすごい。
六代目圓楽師匠がなにか言おうものなら容赦ない。
座布団一枚どころかときには全部とる。
これは先代司会の五代目圓楽師匠のときにはみられなかった光景である。

歌丸師匠が座布団を全部とれと言ったとき、そこに逡巡はない。
その目は独裁者のそれである。
こつこつつみあげてきたものを、たった一言で崩壊させるそのさまは観ているものに畏怖をあたえる。
それぐらい歌丸師匠司会の大喜利はすごいのである。

たいてい全部とりあげられてしまうのは、六代目圓楽師匠である。
そしてその回答というのは、歌丸師匠の寿命ネタだ。
魚を焼くしぐさをしながら、「歌丸が焼き上がりました」など枚挙にいとまがない。
しかし歌丸師匠は死なない。

入院はされるが、それでも司会に復帰してしばらく経つと生気が蘇ってくる。
不死身であるかのようだ。
富士子は歌丸師匠の奥さまの名前だ。
とにかく歌丸師匠の天下はまだ終わりそうにないのはたしかだ。

おもえば笑点歌丸師匠を観つづけて30数年になる。
はじめに観たときは、まだ大喜利の司会は三波伸介さんであった。
そしてまだ三遊亭小円遊師匠が健在のころだ。
いつも歌丸師匠と小円遊師匠は大喜利でののしり合っていた。

いわゆる「ハゲ」と「バケ(モノ)」の争いである。
しかし小円遊師匠が1980年に43歳の若さで亡くなり最強のライバルを失ってしまった。
そして三波伸介さんもお亡くなりになり5代目圓楽師匠が司会になる。
そこからの歌丸師匠はちょっと変わってしまった。

大喜利で答えたあとたまに自信なさ気に司会の5代目圓楽師匠の顔を遠くからのぞきこむのだ。
これはあの故ナンシー関さんも著書で指摘していた。
小円遊師匠が亡くなってからというもの、回答者の中では年上ということもあって、良識のある知的な人というかんじになってしまったのだ。

しかし5代目圓楽師匠が降板し、司会をするようになってからまた変わった。
6代目円楽師匠から、寿命のことをからかわれるたんびに生気が増してきた。
からだの不調があっても、その生気がカバーする。
そして歌丸師匠はいまも暴君ぶりを発揮し座布団を全部とる。

まだまだ司会は6代目円楽師匠にはなりそうもない。