KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

長谷川豊さんの陰で自分も問題発言

 ”明智半平太”最後の日ということで、とあるトークライブに出席してきた。名前は「日本の未来を考える」~芸人シンポジウム~という。




 おおよそ10人ほどの空間。24歳の若い女性が輝くなかで、43歳のおじさんは線香花火のようにひっそりと燃え尽きたのであった。老兵は死なず ただ消えゆくのみ。で終わらせると、わけあって来られなかったヒトに悪いので、2つほど問題発言をピックアップしてみる。

選民思想というのはニンゲンの本能だ。10人の男が10人の女とセックスをして子どもを産む。(ウサイン)ボルトが10人の女とセックスをして子どもを産む。どっちが足の速い子を産む確率が高いか。ボルトの子どもの方が速いに決まっている。動物の世界では当たり前に行われていることだ。 

 これは相模原のアノ事件についてのハナシだ。優秀な子孫を残そうとするのは、動物の本能として当然あるということ。

(介護の仕事をしていて、お年寄りを殺したいと思ったことがあるのかという問いに)

あるに決まってるだろそんなの。

 これはもうお年寄りが憎くてというのではなく、たとえば苛烈な職場の人間関係や労働環境などにおいては、ニンゲンおかしくなってなにをしでかすかわからないということも暗に述べている。 

 これら二つに共通していいたかったのは、ニンゲンはそれでも矜持というものがあって、本能をむきだしにしないように生きているということなのだ。法律を守ることもそう。暴力をふるわないということもそう。簡単にまとめるとそういうことだ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。