KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

”不謹慎”を凌駕するほどの美しさ【「サムライ」沢田研二】

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 いまいちど”ジュリー”という存在を噛みしめてみたいと思う。ときは昭和53年になってまもなきころ。場所は新宿河田町のフジテレビ。このころのジュリーはまさに絶頂だった。

 

 この前の年の年末に「勝手にしやがれ」でレコード大賞を受賞したジュリーをさらなる高みに上げたのがこの「サムライ」という曲だった。そしてその象徴がこの「夜のヒットスタジオ」におけるステージの演出だったのだ。

 

 

 もはや夜ヒットの本気。テレビそのものの本気である。このころはいまと違って生バンドの演奏をバックに歌う。それはすなわち”口パク”ではないことを意味する。その生歌における高音の伸びの色気こそがこのサムライという歌の真骨頂だ。

 

 当時も一部では問題になったのだろうが、いまの時代において、このようなハーケンクロイツの腕章をつけた軍服風のコスチュームなど着たら、それこそ大問題になったであろう。

 

 しかしそれでもジュリーの歌と立ち振る舞い、ステージの演出。それぞれの美しさは、”不謹慎”ですらも凌駕する。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。