KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

不条理はしょせん偶然の積み重ねである

たとえばあなたが特攻隊のパイロットであったとしよう。そして仲間が亡くなり、あなたが生き残り終戦を迎える。そうなった時に、あなたはどう思うだろうか。きっと仲間の死を前にして、生き残ってラッキーだとは思わないだろう。

功利主義は悲しみに暮れる少数派を救えるのか

基本的な考え方は、『正しい行い』とは、「効用」を最大化するあらゆるものだと言うもの。正しい行為や政策とは「最大多数個人の最大幸福」(the greatest happiness of the greatest number)をもたらすものであるとジェレミ・ベンサムは論じた。

自分って何

なにゆえ大学に籍を置いて哲学を学ぼうとしているのか。それは死ぬための準備といえるだろう。子どものころから死生観というのは、いつもテーマとして持ちつづけてきた。集大成とまではいかなくとも、ある程度まとめられたらと考えている。