たとえばあなたが特攻隊のパイロットであったとしよう。そして仲間が亡くなり、あなたが生き残り終戦を迎える。そうなった時に、あなたはどう思うだろうか。きっと仲間の死を前にして、生き残ってラッキーだとは思わないだろう。
なぜ仲間が死に、自分が生き残ってしまったのか。その”不条理”さに悩まされるかもしれない。ただ不条理と思えることも、幾重もの偶然によって出来ている。ヒトの死というものは、どのようなものでも、偶然の積み重ねによって起こる。
自堕落な生活を送れば早死する。それは正しいようで、正しくないところもある。同じ年齢で同じような自堕落生活を送っても、同時には死なない。それは体質の違いで、死なないニンゲンの方が健康だったのか。
でもそうとも限らない。たまたま健康な方が、ひょんなことから脳の血管が詰まって死んでしまうということも考えられる。死というものは、偶然が重なり起きるということにすぎないのだ。
つまりヒトの死に必然というものはないということだ。ヒトの死に運命などというものはない。ましてやニンゲンが同じニンゲンに対して”お前の死は必然だ”として死に追いやることは、大きなまちがいであり、欺瞞に満ちた言動なのである。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。