KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

大徹

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 ここのところ記事がト゚がってばかりいたので、ここでまったりと昭和の思い出をひとつ挟もうかとおもう。昭和末期のころ、すなわち小学校高学年から中学入学にかけてのあたり、学校が終わっても、友達と遊ぶなんてこともなく家に帰るような子どもだった。

 

 ファミコンもなかったので、することといったらテレビを観ることぐらい。なにもなければ、寝そべってドラマの再放送をながめる。学校もおもしろくない。惰性で呼吸しているようなヤツだった。

 

 そんな生活の日々のなかで、2か月に1回15日間決まって行われる。それが相撲中継だった。それもやはりぼんやりながめているのだが、ひとり注目していた力士がいた。それが大徹だった。

 

 193センチの長身、長いもみあげ、なぜか一人だけ黄土色のまわし。そしてなんといってもやる気が感じられない相撲。そして案の定負ける。もちろんたまには勝つのだけれど、そういうときにかぎってニュースがかぶっていて観られなかったりするのだ。

 

 

 この動画の最後の二番をみてもらうとわかるが、身長175センチ体重81キロの維新力に、恵まれた体を持ちながら、なにごともなかったように負ける大徹。でもそんな大徹が好きだった。

 

 それでも一回だけ千代の富士に勝って、金星をあげたことがあった。そのときもテレビの前で観ていたのだけれども、インタビュールームに来たときに、インタビュアーから、「ここへの道はわかりましたか?」といわれる始末。

 

 それでも表情ひとつ変えずに、淡々とインタビューに答える大徹。そんな大徹を愛してやまないのは私だけかと思っていたのだが、平成になって昔の相撲のハナシをすると、意外とみんなヤケに覚えているのだ。それが大徹

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。