KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

哲学ってなに?

f:id:hanpeita1973:20181101013604j:plain

 と。哲学のハナシに入る前に、まずエッセイについて。エッセイというのは、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文なのだとか。

 

 というわけで、哲学の研究で有名なヒトというのは、エッセイもよく書かれている。まあとかく哲学は難しい。しかしそういったヒトたちの経験を通して綴られるエッセイはヒントを与えてくれる。

 

 なので自分も勉強したことを、自分なりにまとめて伝えることで読むヒトと共有し、かつ理解を自分なりに深めていきたいと考えている。というわけでまず、哲学というのはいったいなんであるのかというテーマからはじめてみたい。

 

”哲学”というコトバはなぜできたのか

 哲学は英語で「philosophy」といい、フィリア(愛)とソフィア(知識)が合わさってフィロソフィアとなっている。つまり”知識を愛する”というのだが、”経済学”とか”物理学”などと比べると専門性みたいなものがみえてこない。

 

 しかも愛と知識が合わさっているのだから、日本語でも「愛知学」って素直に訳せばいいのに、なぜか”哲”なんてコトバが出てくるからややこしい。ちなみに”哲”という漢字は「道理に明るい」という意味である。当初は希哲学という名前だった。

 

 このコトバは西周(にし あまね)というヒトが明治7年に発表した。つまりペリーが来航してからたかだか20年後にできたコトバなのである。なので日本の哲学者といわれるヒトは、このとき以降に生まれたということになる。

 

 だからここでいうところの”哲学”というのは、”西洋哲学”のことであり、日本においては歴史が浅い学問なのである。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。