インドの東部に、北センチネル島という島がある。センチネル族という先住民が住み、数千年ものあいだ外部との接触を拒み、ときには侵入者にたいして攻撃を加えることがある。
そして先日も布教目的でやってきた宣教師が、島民に殺害されるという悲劇がおこった。島民にしかわからない言語をもつところで、なにを教えようとしたのか。越えてはいけない一線であったと僕はおもう。
ソクラテスの時代にはすでに、霊もしくは魂に該当するコトバはあった。それよりきっと、もっともっと昔から霊や魂の存在は信じられてきたであろう。また現世において宗教はさまざまある。
そして時代が経てば経つほど、文明が発達すればするほど、宗教における神や霊魂についての伝え方というのは、ニンゲン特有の手あかにまみれてくるのではないだろうか。どのようなヒトでも共通するもののはずなのだが。
だから北センチネル島には、神や霊魂への、純粋に近い崇拝のやりかたというものがあるのではないだろうか。そういうところに文明の発達したところから来たニンゲンが、自分たちの宗教を伝えようというのは、傲慢であると思うのだ。
宗教というのは、欠点だらけのニンゲンの作り出した代物だ。神や霊魂にたいする、ニンゲンの伝え方の違いで、ときには争いまで起きてしまう。それもまたニンゲンの傲慢さなのだ。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。