KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

脱社畜といいながら本当の畜生になっていく

 

 ”社畜”というのは、サラリーマンのヒトを総じていう。つまりは己の労働力を売るヒトはみな”会社の家畜”ということになる。そこで起業をし、”脱社畜”を図りましょうというこれは呼びかけである。

 

  そして”脱社畜サロンというものが存在して、起業したいけれどもビジネスモデルややりたいことがなにも決まっていないというヒトに、やらなければいけないステップを月額3000円で教えますよというもの。

 

 ちまたにはオンラインサロンというものが存在し、インターネットを使いその空間におけるクローズドな場所でノウハウを教えたりする。たいていは教わるために、幾ばくかのお金を払って、そのクローズドな場所に入れてもらう。

 

 しかしここで考えてほしいのは、実はお金というものには限度というものがあって、配られるパイも限られてくるということだ。つまり最大多数個人の最大幸福というものはこういう世界にはありえない。

 

 メンバーのみんながみんな、食べていける分だけお金が入ればいいやという考えであればいいのだが、そうもいかない。限られているパイをどれだけ多く奪うか、そのためにどう誰かを踏み台にするかを狙っているヒトがいる。むしろメンバーはみんなそうなのだ。

 

 だからこういったオンラインサロンというのは、横のつながりが存在しないのである。いわば生き馬の目を抜こうとするヒトが揃う魑魅魍魎と畜生の世界とでもいおうか。もうこのイケダハヤト先生のフリーザなんてその化身ある。以上はあくまで僕の個人的見解であるが。

 

【畜生】

①前世における悪行の報いで人間以外に生まれたとされる動物

②人間扱い出来ない、卑しむべき存在

              (新明解国語辞典 第四版より)

 

 ごめんイケハヤさん言い過ぎた。そういう意味のつもりではなかった。新明解国語辞典がそう記しているだけなのである。しかしそれにしても、ほんとうに著作権は大丈夫なのであろうか。冒頭のフリーザ魔人ブウは。

 

 営利目的ではなく、単にコスプレを楽しんでいる程度なら、お咎めはないのであろうが。有料サロンの宣伝に使ってしまっているからなあ。キャラクターの名前だしてそのコスプレでは逃げ場もないであろうに。くわばらくわばら。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。