KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

100人が100万円分の幸せを享受したところで社会への還元にはならない

 僕はずいぶん前からTwitterで、ZOZOの前澤友作社長をフォローしている。そうなのである。フォローしているからといって、100万円目当てなわけではない。あ、でも企画に則ってリツイートしたわけではないからわかるか。

 

 SNSを使用し、100人に100万円をプレゼントする1億円お年玉企画を開催したZOZOの前澤友作社長が9日、ツイッターで企画を実施した感想を記した。
 前澤社長は「ひと段落したのでやっとゆっくりネット上見てる。批判もあるね。誰も損してないし、楽しいし夢があるから盛り上がったんだと思うけど」と綴った。
 大胆な企画だったが、「自分一人の力で稼いだわけじゃないんだから、お金はケチらず貯金せずどんどん使って社会に回す方がいい。買い物でも寄付でもお年玉でも税金でも。お金持ちの役割」とした。
 「みんなのおかげで儲かったんだから、ガンガン使って社会に還元して、稼いでも稼いでも貯金のたまらない金持ち貧乏で僕はありたい」と綴った。

前澤社長 1億円お年玉「お金はケチらず社会還元」「お金持ちの役割」 - ライブドアニュース

  だが正直この手の企画は迷う。ダメもとでリツイートしてみようかという気にもならないではない。だが誰が読んでいるかわからない。外れたからといって、こっそりリツイートを削除したつもりが、ずっとみられていたなどということもあるかもしれない。

 

 当たる確率を考えたらリスクをともなうなと。そういうちっぽけなプライドを持ってしまうから、金持ちになれないといわれたらそれまでなのだが。けれどもやはり、ハズれたからといって、即座にリツイートを消したり、フォローを外すのは恥ずべき行為なのだ。

 

 前澤さんの発言で気になったのは”社会還元”というコトバである。たかだかこのような企画に参加したうちの100人に100万円をあげたところで、この100人が社会に還元できる効果をもったお金の使い方ができるとは、どうしても思えないのである。

 

 もちろんそのようなものは建前であって、要は宣伝だもんといわれたら、それまでなのだが。ただ社会還元というのは、できるだけ多くのヒトが恩恵を受けるようなものだと考える。たとえば文化事業とか。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。