KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

アウティングと”少数派”の生き方

 アウティングというのは、セクシャルマイノリティであるということを本人の了承を他者に暴露することである。これが原因で大学生がパニックに陥り、転落死するという痛ましい事件があった。

 

 

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遺族側は、大学が学生に対する安全配慮義務や教育環境配慮義務に違反し、アウティングが同級生による加害行為であり、学内いじめであるという認識を欠き、救済の対応をしなかったなどと主張。
一方、大学側は十分な対応をとっており、転落死は予見できなかったとして全面的に争っていた。
これに対し、判決では、大学側の主張を認め、転落死の予見性もなかったとして、原告の主張をすべて棄却した。

 

 暴露した学生は、交際を断ったあとも食事に誘われるなどされ、そういった相手の行為が苦になり暴露に至ったらしい。正直、もっと違うやり方があっただろうと思われる。

 

 ただ引用にある”救済の対応”というのはなんなのだろうとも思われる。”死のう”とする行為は突発的に実行されることもある。死ぬかもしれないという兆候が誰からみても明らかであったというならば、話は別であるが。

 

 家族ですら予見できていないようなことを、大学ごときがどう予見するのかというハナシなのだ。

 

 残念なのは、なぜ断られてまもなく食事に誘ってしまったのかということだ。いったん距離をおいておけばよかった。多数派である異性愛者にとっては、同性愛者からの告白は大変なできごとなのである。そういうハナシをしてあげるのは両親の役割ではないのだろうか。

 

 少数派にはもちろん権利というものがある。しかしそれらすべてが多数派に義務を強いるものではないのだ。僕はいつも少数派であったから、そういう諦念を持っている。そのなかで頼れる人には頼ってささやかな幸せを模索してきた。

 

 もちろん家族の心情をおもえばほんとうに辛いと思われる。せめてとことん亡くなった彼のために法廷で主張すべきところは主張すればいい。おととい担当弁護士の南先生がニュースで言っていたが、控訴するそうだ。

 

 南先生はゲイであり心が熱い(ちなみに引用しているニュースの写真で南先生の隣にいるヒトも弁護士で”夫夫”)。きっと一矢を報いてくれるだろう。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。