KOTOBASM

言葉を使うようになって、ヒトは”時”を作った。それまではただ目の前にやってくる”生”を生きるだけだったのに、言葉と時制を持ったがために、ヒトはやがてくる死というものに怯えるようになった。

ピエール瀧さんとコカインについて

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 いわんとすることは、おおむねわかる。またこの手の事件が起きたときに、作品に注目が集まるというのも本末転倒というのもある。

 

  問題なのは上の方から臭いものにフタをすることなのだと思われる。一部のニンゲンから抗議されるのが面倒だからということでだ。”業界内”でそれをやられたら、中のヒトたちは誰も異論を挟めぬではないか。

 

 ͡コトは電気グルーヴの作品だけではない。他の主演作品においても、どれだけ”連帯責任状態”のヒトがいるか。

 

 ただそれとは別に、もう一つ別の角度の問題がある。それはコカイン吸引の罪についてだ。コカインの吸入自体、誰にも迷惑をかけていないというヒトがいるが、それはちがう。

 

 コカインというのは、自分で作って自分で吸入するわけではない。売人がいて、その収入というのは、暴力組織のふところに入る。そしてそれが資金源となって、また新たな暴力を生む。そういう点で、コカインを購入するのは罪深い行為なのである。

 

 つまり

”それとこれとは別!”

というのは、きちんとはっきりさせておかないといけないということである。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。