KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

資本主義社会の『勝ち組』についてそう思われる

 日本は法治国家であり、資本主義社会である。それは裏を返すと、法に触れなければ、自由にお金を儲けていいということにもなる。しかし社会において、ひとりひとりに配られるだけのお金には限界がある。

 

  となると他人を踏み台にして、お金を得る自由というのもおのずと発生する。法に触れなければいい、それがあってこその資本主義社会だと内心で思っているヒトもいるであろう。しかし行きすぎるのはどうなのと考えるヒトもいる。

 

 法には触れていなくても、倫理的におかしいでしょということである。倫理とはすなわち”人の世の理”というものだ。 

 

 

 

 

 そこで出てくるのが、このイケハヤさんなのである。彼がここまでサラリーマンを徹底的に見下すのには、わけがある。要は不労所得を得るための情報を売ってあげるから、サラリーマンなんてバカらしいものは辞めてしまいなさいということなのである。

 

 しかし先にもいったとおり、ひとりひとりに配られるお金は限られている。誰かがゼロになるまで堕ちなければ、誰かが不労所得で儲けることはできないのである。イケハヤさんだって、そこのことろはわかっているはずなのだ。

 

 それなのにそういう風にいってしまうのは、法には触れないけれども、倫理的にどうなのということになるのだ。社会を支えているのは、賃金労働者なのである。そういうヒトたちをdisるのは、反社会的行為といっても過言ではないだろう。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。