これはまだ勉強中で、まだ私の頭のなかでカタチにはなっていないことなのだが、もし神が存在したとして、その神様というのはどういう姿をしているのか。みなさんは考えたことがあるだろうか。
”それはニンゲンと同じ姿をしてるのでしょう”というヒトもいるかもしれない。はたしてそうだろうか。誰もがみなニンゲンの姿をした神様をみたことがないというのに。
そこでクリスチャンのヒトならば、天地創造の神様は、自分の姿に似せてニンゲンを作ったと聖書に書いてあるじゃないかといわれるだろう。
先日、大学の授業で、自己原因というコトバがでてきた。意味は、”他のものを原因として存在するようになるのでなく、そのもの自体が自己の存在原因となっていること”となっている。
ちなみに旧約聖書の創世記には、”はじめに神は天と地を作られた”とある。はじめというからには、ではなにもない無の状態からニンゲンの姿をした神の実体があったのかということになる。
そこで僕が考えたのが、天と地こそがはじめであり、天と地こそが神なのではないかということだ。つまり自然=神ということである。これはスピノザが唱えた汎神論の神即自然に近い。
ちなみに汎神論はキリスト教徒からかなり攻撃されたらしい。キリスト教徒からすれば、ヒトのカタチをした天地創造の神が自然を作ったと信じているのだから、スピノザの論に、なに?となるのはわかるのだが。まだまだこれは勉強が必要なテーマである。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。