KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ソクラテス問題

 ソクラテスといえば、いわずと知れた有名な、紀元前5世紀に活躍したギリシャの哲学者であるが、自身ではその考えを文字に残していない。というのも、文字では考えが正確に伝わらない、いわば「死の言語」であるとソクラテスは考えたからだ。反対に声は生き生きとしているという。 

 

 であるからして、いま現在われわれが知ることができる、ソクラテスのコトバというのは、他のヒトの手によって書かれたものということになる。その代表が、ソクラテスの弟子であったプラトンである。

 

 プラトンは対話篇という、複数の登場人物の間での対話形式を用いて作品を残した。だがさてそこに描かれているのはソクラテスの実像なのかというと、これがあやしい。

 

 プラトンは弟子として、尊敬するソクラテスを理想の人物として描いている可能性があるし、また自分の思想をソクラテスに語らせている部分もあると思われる。いまでいうところの”盛ってる”というヤツだ。

 

 つまりほんとうのところ、ソクラテスってどういうヤツだったかなんて、わからないよねというのが、”ソクラテス問題”なのである。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。