KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

話し言葉への挑戦

今日の動画


三宅雪子さんの死と生きづらさ

 

  言葉には書き言葉というのと、話し言葉というのがあります。書くのと話すのとでは、おなじ言葉であっても違います。かのソクラテスは、書き言葉と違って話し言葉は生き生きとしているとして、自分の考えを文献には残しませんでした。

 

 なのでいま残っているソクラテスの言葉というのは、弟子のプラトンによる著作になります。実際にそれがほんとうにソクラテスの言葉なのか。実はプラトンの脚色が入っているのではないか。これをソクラテス問題といいます。

 

 当ブログ記録者の場合、話すのが苦手で、書くのに比べると言葉がとっちらかってしまいます。YouTubeの配信をはじめたのは、それを克服するというのも目的のひとつです。

 

 なのでまあ視聴していて、こいつなに言ってんだこいつと思われるかもしれませんが、温かい目で観ていただければ幸いです。よろしくお願いします。実際やってみるとほんとうに難しいです。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。