KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

プロローグ

 ブログの表題であるどちて坊やは、そのむかしテレビ朝日で放送されていた「一休さん」の登場人物である。ことあるごとに「どちてですか?」と聞いては一休さんを困らせる。

 

 どちて坊やは戦災孤児で、それが《どちて?》と関連しているのかもしれない。幼い身空で世の不条理に疑問を投げかけているのではないだろうか。なにか哲学的なものを感じる。

 

 哲学というのは難しそうでいて実にシンプルなものである。それこそ《どちて?》で成り立っている。どちて人は存在するのか。どちて人は死ぬのか。死んだら人はどこに行くのか。それをなんで自信持って言えるの?どちて?

 

 一休さんみたいな宗教関係者は、そういうところを曖昧にしようとする。天国や地獄の存在などまさにそうで、現世の人が確かめようもないものを存在すると言ってしまうこと自体が曖昧そのものなのだ。

 

 どちて坊やはその曖昧な部分に切り込んでいくのであった。このブログも哲学を駆使していろんな《どちて?》に切り込んでいく。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづく限り僕は君のそばにいる。

(この締めの文句だけは従来と変わらないのであった。

 

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