KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

セクハラか否かを決めるのは法律ではない

 

 少なくとも。法律などというのは必要最小限のルールであり、正しいかどうかを決めるのは、コミュニティの暗黙のルールという非常にふわふわとした、実体のつかみづらいものが決定する。

 

 だから男に対するセクハラというのは、暗黙のルールには存在しないといえる。たとえば若い女性が中年男性にチビデブハゲと言ったとしてもセクハラにはならないのである。

 

 言われたチビデブハゲの中年男性が、言った若い女性にセクハラと訴えても、セクハラではないと強弁してくる者は、かならず存在する。それはチビデブハゲの中年男性にマウントポジションをとりたい男性である。

 

 こういう男性が少なからずいるので、チビデブハゲの中年男性は多数派にはなりえない。そうなると暗黙の了解のうちに、若い女性がチビデブハゲの中年男性を揶揄してもセクハラではないという暗黙のルールが形成されていくのである。

 

 裏を返せばチビデブハゲの中年男性が若い女性に少しでも疑いのある発言をしたら、多数派は黙っていないともいえる。もはやセクシャルの問題では無くなってくるのである。これはもう権力闘争に近い。

 

 暗黙の了解およびルールというのは、それと戦うとしたらそうとうな労力を必要とする。それでも戦うという選択肢はあるけれども、やはりハナから近寄らない方が、無難といえば無難なのであった。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君のそばにいる。