大場選手は昭和24年生まれで、うちの父が昭和25年生まれなので、ほぼ同世代ということになる。大場選手は父親がギャンブル好きで貧しい家庭に育ったという。うちの父も貧しい家庭で苦労したらしい。
育ったところはどちらも東京で、大場選手は足立区、うちの父は板橋区である。区のちがいはあれど、ここまではけっこう共通している。ちなみに前回の記事にある動画で紹介した、5回目の防衛戦に勝利できたのが、昭和48年1月2日だった。
その10日後に、不肖のバカ息子ができたのが、うちの父であった。冒頭のモノクロ写真の赤ちゃんが、その不肖のバカ息子である。そしてそのまた13日後に大場選手は不慮の死をとげることとなる。
世界チャンピョンとなり、両親のために家を買ってあげて、日本に2台しかないシボレー・コルベットスティングレーを手にいれて、まだ23歳これからというときに、その白色のコルベットに乗って首都高速で事故死してしまう。
少年のころにそのことをはじめて知り、衝撃を受けたのを覚えている。なにせ自分が生まれた、おなじ月のできごとでもあったし。劇的な勝利をした大場選手は、最期も劇的だった。もしかしたら戦い続けて、いろいろと疲れていたのかもしれない。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。