KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

それはまるでタイムカプセルのように(後編)

それはまるでタイムカプセルのように(前編)からの続き。

 しかし本放送から37年経過してから観ると、まるでタイムカプセルを掘り起こして中身を見ているような気になる。そして37年前には37年後のことなど想像もつかないのだろうなと考えさせられる。

 

 そんなの当たり前だといわれるかもしれないが。でも時間も人生も不思議だなと考えさせられる。37年前に夢も希望もついえたヒトが、それでもいま生きているのである。

 

 プロ棋士になれなかった鈴木英春さんはその後、アマチュアで強豪となり、将棋の本を出して、子どもたちに将棋を教えている。81年当時は駆け落ちした奥様と熱海のアパートに住んでいたが、いまは金沢にいるという。どのような経緯で流れ着いたのであろう。興味深い。

 

 なにしろとにかく、いまも生きていたのだ。雨風しのげる家に住み、メシも食えていたということだ。奥様とおなかの中にいたお子様がどうされているのかはわからないが。

 

 そしてもうひとつ考えさせられたのが、37年前の番組で、鈴木さんの結果を心配し、傷心の彼に寄り添っていた、あるプロ棋士の存在だった。真部一男九段である。

 

 鈴木さんが昇格試験の前に、真部九段の自宅で行われていた研究会に参加するシーンがあった。そこでかいがいしく笑顔で参加者にカレーライスをふるまっているキレイな奥様が映っていた。もう見るからに幸せそうな家庭であった。

 

 奥様はキャスターでエッセイストの草柳文恵さんだった。しかしその後離婚されて、真部九段は2007年に55歳で、草柳さんは2008年に54歳でお二人とも若くして亡くなられている。

 

 お二人が鬼籍に入られていることはすでに知っていたので、テレビに映るお元気で幸せそうな姿をみて、なにか不思議な感じがした。小生はこの時、少しばかり昭和56年の住人になっていたのだ。

 

 時の流れと、その中で展開されているそれぞれのヒトの人生。不思議なものだ。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。