森友学園が大阪府に対し、小学校の認可申請を取り消した。これでこの一連の問題は徐々に幕引きへとむかっていくのであろう。ただひとつスッキリしないことがある。それは理事長のある発言のことだ。
はっきりいわせてもらうが、教育勅語そのものが悪いのではない。教育勅語を利用するニンゲンに問題があるのだ。問題のあるニンゲンのやり方を否定することは、教育勅語の否定にはならないのである。
籠池のやり方はなにが問題なのか。幼稚園児には通う幼稚園の選択権はない。そしてまだ自我というものは育っていない。そのような子どもたちに集団で暗唱させることが問題なのだ。
園児たちに教育勅語を集団で暗唱させたあと、籠池はなにをさせたか。自分の銅像にたいして園児たちに大きな声であいさつをさせている。つまり子どもたちの自我を奪い、籠池というニンゲンそのものを個人崇拝させているということだ。
生身の籠池に対してであるなら、子どもたちが大声で挨拶しても、それは礼儀の範疇であろう。だが銅像といういわば偶像にたいして大声で挨拶させるのは、礼儀の範疇を超えている。そういうことを幼稚園児に強要するのは、決して許されるべきことではないのだ。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。