KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

はあちゅうさんの童貞いじりと男性という属性におけるレイヤー(階層)

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 はあちゅうさんというブロガー・作家さんがいる。先日このヒトが、Twitterで過去自分にむけられたセクシャル・ハラスメントを、相手の実名入りで告発するということがあったのさ。

 

 それだけなら、ああそれはイヤだったよねってハナシなのだけどさ、どこかの誰かさんが、過去のはあちゅうさんの童貞をバカにしているともとれる発言を出して、あなたもセクハラ発言しているじゃないかってハナシに発展したわけね。

 

 インターネット社会において、よくSNSでは”それとこれとはまた別の議論じゃない?”っていうことがナイマゼになってしまうことが多々あるのだよね。たとえば立場が対立するような相手からあることを指摘されたら、そのあることは反応せずに、代わりに相手の弱点を探し出してそれを指摘し返すといったかんじでさ。

 

 

 さらにまたそれをくり返すと、カオスな展開にハマっていくんだよね。

 

 またこういうセクシャルな問題におけるハナシには、かならず男性間における対立というものも発生するのね。一方は強者で一方は弱者。動物の世界ならそれでハナシは終わりなのだけど、ニンゲンにはコトバというものがあるからそう単純には終わらない。

 

 

 たとえばこういうの発言ってね、メスの寵愛を受けるために、羽根を広げる孔雀のオスみたいなものでさ。動物ならオスどうし戦って、強い方のオスがメスといっしょになって、優秀な遺伝子を残そうとするのだけれど、ニンゲンにはコトバというものがあるから、そう単純にはいかない。

 

 よく男性の側が揶揄されたりすると、男性の方が恵まれているから笑えるんだというヒトがいるよね。男と女の二元論で語るのなら男が恵まれているというのはわかる。だからこそ、そのぶん男性には女性よりも、上下関係と複雑なレイヤーというものが存在するんだ。だから”笑えない”ヒトというのは存在する。

 

 はあちゅうさんというヒトは、これまでいかにレイヤーが上の方の男性に取り入り、下の方の男性を足蹴にするか。コトバは悪いけどそのさじ加減で、物書き界を生きてきたヒトなのではないかな。

 

 僕は悪いけど童貞いじりは笑えない。童貞じゃないけど笑えないよ。モテないというのもふくめて、自分が階層の下にいるのを自覚しているからさ。ただ違うところに自分を見出しているから、怒りやら妬みやらを感じることなく、客観的にみられているだけさ。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。